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●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.13
2002.7.11

○「LOVE SONGS」いよいよ7/13より公開!
○「LOVE SONGS」試写感想

☆「LOVE SONGS」いよいよ7/13より公開!☆
21:15よりBOX東中野にてレイトロードショー
7月13日(土)
トークゲスト:佐々木敦(音楽批評家)
7月19日(金)
トークゲスト:手塚眞(ヴィジュアリスト)
詳しくは
http://www.mistral-japan.co.jp/film/f/lovesong.html
まで

◆「LOVE SONGS」公開記念スペシャルオールナイト
★★★ STAN MIDNIGHT ★★★

7月27日(土)23:00スタート(20:00より受付にて整理券配付)
前売2,700円/当日3,000円(劇場窓口、チケットぴあにて発売!)

◇上映スケジュール

〈BRAKHAGE EYES〉
『FIRE OF WATERS』1965/7分
『窓のしずくと動く赤ん坊』1959/12分
『夜への前ぶれ』 1958/40分
『THE DEAD』1960/11分
『思い出のシリウス』1959/11分
『MOTHLIGHT』/1963/4分
『自分自身の眼で見る行為』1971/32分

〈日本の実験映画〉
『オランダ人の写真』居田伊佐雄/1976/7分
『アートマン』松本俊夫/1975/11分
『フーガの技法』石田尚志(制作:愛知芸術文化センター)/2001/20分
『水光色』水由章/2001/7分
『光・しずく』能登勝/1998/11分
『変形作品第5番-レンブラントの主題による変形解体と再構成-』黒坂圭太/1986/28分

『DOG STAR MAN -完全版-』1961-64/78分

※石田尚志トークあり。
※2003年秋開催予定の「スタン・ブラッケージ回顧展」実行委員会メンバーによるトークバトルもあり。

☆ 「LOVE SONGS」試写を見て ☆

◆DOG STAR MANがスタン・ブラッケージの代表作であり、それが実験映画史の中で金字塔として多くの作家が評するのは知っているが、私の中ではむしろ「窓のしずくと動く赤ん坊」の方が印象深い。それは愛妻の出産を撮ったというロマンティシズムに対してではなく、次々と綴られる光の煌めきの連続、水の繊細な動きとそれらの水と光の動きと絡み合う生身の美しさにただ見とれてしまうからに他ならない。確かに作品のテーマは「アヴァンギャルドホームムービー」と言われるように、家族に対する愛情はあるのだろうが、単なるホームムービーで終わっていないのは、それが主だったものではないからではないだろうか。思うに、実際のところブラッケージがカメラを通して見ているのは妻子ではなく、その身体を取り巻く水と光の瞬間の動きを追うことに没頭しているのだと思う。言ってしまえば、出産そのものへの喜びよりもそれを通して見えた光の美しさへの感動が半分以上占めているのではないかしら、少々非情な推察かもしれないけれど。もちろんそれがブラッケージという作家であり、作家としての愛の表現でもあるだろうけど。

というところから導き出して、やはりブラッケージはひたすら光を追い求めていく作家なのだと思う。それが突き詰められていった結果がハンドペインティングとすれば、これらの作品群にも納得がいく。音もなく、スクリーンの上に散らばり、飛び跳ねる色と光。まるでガラス細工や七宝焼きを思わせるような映像に、ガラス好きの私としては口が開く。以前友人に言われて気づいたことだが、ガラスや水が好きということは、それらそのものよりも、それらを通した光に惹かれているのだ。そうしたガラスや水の動きに見とれて時間を過ごしてしまう私にとって、この映画はそれを満たしてくれるようなもの。

と、話が少しずれたが、映像は光で形成されるもの。その光に魅入られてしまったブラッケージにとってはもはやその映像がどんな意味を持つのかなどという議論は無意味なのかもしれない。ひたすら欲望のままに美に向かっていく作家にとって、第一はそれそのものが重要だ。そこから様々な意味合いを引き出すことは出来るけれども、それは後々のこと。ともかく映像という光の美にひたすら向き合うブラッケージの姿は作り手としてのとても基本的なものに思える。例えばそれはお絵描きに没頭する幼児の純粋さとも同じかもしれない。しかしその純粋さを保とうとすることは、単純にみえてなかなか難しい。だって大人になると余計な事を考えてしまうから。私たちはいろいろと考えすぎて物事を余計に複雑にしているのかもしれない、と考えさせられ、自分自身の中の「純粋」が濁らないようにひたすら潜っていくブラッケージに見習わねば?と思い、やはりDOG STAR MANよりもこっちのブラッケージの方が好きだなと思った映画だった。

中沢あき(映像作家/スタン・ブラッケージ回顧展実行委員会)

◆いろいろな方々のブラッケージ作品についての感想、いつも面白く拝読しています。皆さんご自分の体験に向き合って何とかそれを言葉にしようとされている点に共感します。率直に体験に向き合わざるをえなくさせてしまうところが、ブラッケージのすごいところですね。本来ならば私も率直な感想から入りたいところなのですが、数日後に出る『Fs』にハンドペイント作品について書いたので重複は避けます。申し訳ありませんが、興味のある方はそちらをお読みください。今回は、映画の極北メールニュースNO.12の中で那田尚史氏がハンドペイント作品集を抽象表現主義の作品と断定されていることに疑問を感じ、投稿させて頂きます。もっとも那田さんの文章は発表を前提に書かれたものではないような気もしますが、読んでしまった以上仕方がないし、これを機会に議論が生まれればと思いあえて取り上げさせて頂きました。

実は、私も『Fs』にブラッケージと抽象表現主義の関連性を書きました。しかしあくまで関連であって、ブラッケージのハンドペイント作品集を抽象表現主義と断定はできないし、すべきでもないと考えます。

第一に、ブラッケージ自身がこれらの作品を抽象表現主義だと標榜しているのならともかく、80年代から始まり今なお継続している作品に40年代から50年代の運動である抽象表現主義のレッテルを貼るのはあまりに乱暴であること。これはハンドペイント作品集に対する、そして抽象表現主義に対する思考停止を招きます。

第二に、基本的に抽象表現主義は絵画の構造に革命をもたらした絵画の運動だったことです。絵画以外では、ごくまれにイサム・ノグチとデヴィッド・スミスの彫刻が合わせて論じられた程度です。その点が文学、美術、映画といった様々なジャンルを巻き込んだ思想運動であるシュルレアリスムなどと違います。ですから、抽象表現主義の映画というレッテルは貼ったら一件落着ではなく貼った途端に説明が必要となるレッテルです。動かない平面という絵画の構造と密接に関係して形成された抽象表現主義において、画像の動きというものはどう考えられるのか。

私が感じた抽象表現主義とハンドペイント作品の共通点は、激しい筆遣いや荒々しい色彩の使用という表情における共通性、中心も地と図の関係もないオールオーバーな画面という構造の共通性、さらに「絵(ピクチュア)ではなく出来事(イベント)としての絵画」という思考の共通性です。人間の内面への信頼も思考の共通性として上げられます。最もこれらの傾向は薄まった形で今やごく一般的な商業イラストレーションにも見受けられますが。

異質な点の第一は、抽象表現主義の絵画は描く者と見る者の双方を包み込むように巨大であることです。ハンドペイント作品も上映時に画面を拡大できますが、制作時は16ミリやせいぜいアイマックスのフィルムです。4号のキャンパスにも満たない大きさです。ブラッケージは全体像を見ながら手で描くのに対して抽象表現主義の画家たちは巨大な画面の中に入り込んで全身で制作します。作者と作品の関係が根本的に違うのです。これは、同じ非幾何学的抽象であるヨーロッパのアンフォルメルと抽象表現主義との違いでもあり、その後の現代芸術に大きな影響を与える、作品は作者の内的表出物ではなく、作者が作品を制作する過程で世界に出会うように観客も作品を通して世界に出会う媒介物だという考え方の始まりでもあります。この思想は、ブラッケージ作品ではハンドペイント作品より『DOG STAR MAN』や『Creation』といった実写の作品において実現されているように思います。ハンドペイント作品はミニアチュールという印象が否めませんしそこが魅力でもあります。

第二は先ほども書いたことですがハンドペイント作品集は映画であること。抽象表現主義の絵画を見る時、視線は自発的に画面の上を徘徊します。中心と地と図がないオールオーバーな画面は視線を止めるものがありません。その間われわれの意識はある種瞑想にも似た体験をします。ハンドペイント作品は画面がころころ変わり、視線が画面の中を徘徊することはありません。むしろ全体像を捉えようとしているように感じます。ハンドペイント作品の最大の特徴は動きと時間構造にあると思います。このハンドペイント作品最大の特徴を抽象表現主義という概念では捉えることができません。

整理すると、ハンドペイント作品の源流として抽象表現主義を指摘することは重要だが、ハンドペイント作品集イコール抽象表現主義というフィルターを通して見る限り、今も作られているハンドペイント作品の最も重要な部分が抜け落ちてしまうというのが私の意見です。 これらの点に那田さんから反論があれば歓迎しますし、世界で初めての『抽象表現主義映画論』というものをお書きいただければぜひ読んでみたいと思います。また、より多くの方からのご意見もお聞かせください。

黒川芳朱(映像作家/スタン・ブラッケージ回顧展実行委員会)

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[スタン・ブラッケージ 映画の極北 ML]
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