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●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.3
2001.7.31

『BRAKHAGE EYES』(BOX東中野)も残すところ、後4日で上映終了します。どうぞお見逃しなく!

●7/14におこなったオールナイト「BRAKHAGE EYES NIGHT」での那田尚史氏トークショーからの抜粋を掲載。
●3月に神戸で開催した個人映像フェスティバル「パーソナルビジョン2001」からのセレクションプログラム東京上映のお知らせ!神戸での上映の際には『BRAKHAGE EYES』をプレミア上映しました。

☆「BRAKHAGE EYES NIGHT」(2001.7.14)
映像研究家:那田尚史トークショー(ゲスト:小池照男、司会:水由章)
[実験映画・個人映画とブラッケージの歴史的位置]

那田:ブラッケージは1933年にカンザスで生まれる。大学中退後、マヤ・デレン、マリー・メンケン、ジョン・ケージなどと接触し、エズラ・パウンド(詩人)には大きな影響を受けた。TVコマーシャル、商業フィルムもやったことがある。処女作は19才の時。『夜への前ぶれ』『DOG STAR MAN』など最初は神話詩的な映画を撮っていた。1964年に16ミリカメラがなくなる事件があり、8ミリで『Song』シリーズを撮る。その後は自伝的な作品を撮り、70年代に入って抽象的な作品を撮りだしている。200本前後の作品があるが日本で観られるのはごく一部なので、2003年の大規模な回顧展で70年代以降の作品が観られるのが楽しみだ。

水由:『Song』シリーズ、『DOG STAR MAN』などの1章も1作品と数えると、ブラッケージの作品本数は2001年6月現在で369本になった。

那田:ブラッケージは日本の実験映画を生み出した一人である。ホームムービー的な記録から『DOG STAR MAN』のような作品まである。『夜への前ぶれ』や『DOG STAR MAN』は非常に強い主観主義的な映画だ。広義では表現主義、美術的にいうと抽象表現主義である。60年代の日本ではとても真似をされた。『夜への前ぶれ』では“死の感覚”をすばやいパンニング、露出アンダー、ピンボケなどで表現していく。主観主義的で詩的な作り方なので、評価が難しい。巷で主観主義的映像が増え過ぎ、その反動でコンセプチャルなものとかミニマルなもの(いわゆる構造映画)が出てくる。
ブラッケージはある時代を作ったと同時にそれに反する構造映画が出てくるきっかけにもなった人だ。現在は、ニューナラティブという、物語の様式をどんどん壊していく映像が一番流行っている。今、ブラッケージが再評価されてその主観主義的な映像を見直すきっかけになればと思う。
『窓のしずくと動く赤ん坊』は出産を撮った映画でアヴァンギャルドホームムービーと言われているが、『Loving』や『自分自身の眼で見る行為』などの共通点として、ふつう見れないものを見せる、ということがある。今までのホームムービーはハレの場(入学式、旅行、結婚式など)を写してきた。ブラッケージは撮ってはいけないものを撮っている。セックス、死体解剖、出産を撮る。自分が若い頃は“ブラッケージの露悪趣味”という感を持っていた。40代になってもう一度見直すと、なんて美しいんだろう、と思った。『窓のしずくと動く赤ん坊』はむちゃくちゃ美意識が働いていて、猥褻感とか嫌悪感をほとんど抱かせない。カメラ内編集やその後の編集も非常に凝っている。『Loving』でも友人のセックスを撮っている。『自分自身の眼で見る行為』ではどんどんブラッケージ風のスタイルになって美意識が出てくる。美意識の人だと思った。ブラッケージは無神論者ではないかな?

水由:信仰については聞かなかったが自分では、愛国者だ、と言っていたが…。

那田:あれだけのものを美的に撮るということはかなり無神論者という感じがする。支えが無い。即物的に生と死を見ている。生と死を見据える度胸の良さからそれを感じる。
『DOG STAR MAN』の作り方にしてもキリスト教以前のほんとうの裸の人間の原点に立ち返っている。『DOG STAR MAN』が日本に来る前は『夜への前ぶれ』が一番有名だった。広い意味での表現主義映画である。“死の感覚”を表現している。僕が今、何かの審査員であの作品が出てきたら落とす可能性もあるくらい主観的だ。
ブラッケージの影響を非常に受けている作家に藤井晴美、ほしのあきらがいる。岡山で16ミリ作品を作りつづける能登勝はブラッケージの映画を見た時、涙が止まらなかったと言っている。ユングの言う集合的無意識というものをその時始めて実感した、というくらい共鳴を受けたそうだ。おそらく『夜への前ぶれ』を観てではないかと思う。

水由:『夜への前ぶれ』は公開当時、物議を醸していた。メカスの映画日記にもあるが、1958年には認められなかった。当時ああいう表現の映画はなかったので。メカスは上映を拒否されたブラッケージを支援していた。『夜への前ぶれ』は「あれは映画じゃない」と最初に言われた映画である。

那田:死の感じがガーッと出てくる。あの感じにのれる人とのれない人と二分されるのではないか。『DOG STAR MAN』は観れば観る程すごい作品である。リストの超絶テクニックのよう。
『DOG STAR MAN』の見方の3つのポイントを説明する。
1つはジャクソン・ポロックで有名な抽象表現主義の絵画(ドリッピングなどのような)が好きな人には動く絵画として楽しめる。ペインティングやスクラッチングなど。時代背景からもブラッケージは抽象表現主義について言及しているし、影響も受けている。
2点めはモンタージュの技法。雪のシーンに突然雪の結晶の顕微鏡写真が出てくる。いわゆる連想のモンタージュが美しい。山を登る時息切れして倒れる、倒れた時、解剖された心臓のフィルムが出てドキドキした心臓がうつっている。それから、エイゼンシュテイン曰く、オーバーターンのモンタージュ、つまり言葉にならない部分のモンタージュがある。何が映っているのかわからない、言語化できないものが『DOG STAR MAN』の映像にある。ただ感じるしかないというレベルのところで人間とコミュニケーションしている。モンタージュということが『DOG STAR MAN』を楽しむ見方だと思う。
3点めに見ることのイミテーションといわれている“視覚の再現”。アヴァンギャルティストとしてのブラッケージの価値とは〈見ること〉をフィルムの上で再現する、そういう美学を持った作家であることだ。“見ることの再現”といってもふつうと違う。『DOG STAR MAN』など、どこが?と感ずるだろうが、ブラッケージの場合、見えるものを写しているだけではなく、見るものから連想したものをうつしている。あるシーンに思い出をかぶせる、ということもある。もっと極端には、太陽を見て眼を閉じるとまぶたの裏に赤いまだらもようがバーッと浮かぶ。そういうものまで作品の中で表現している。『DOG STAR MAN』にはよく光線びきのような赤いものが入ったり、ペインティングされたりするのは、目をつぶった時に浮かんだ部分の表現だと思っていい。そういった目にみえるビジョンだけでなく、心の中での連想、想像といった内的ビジョン、まぶたの裏のビジョンというような、外と内のビジョンの両方を『DOG STAR MAN』は表現しているので、そういう視点で見るとますます面白くなると思う。
特に今日見ていておもしろいと思ったのは、PART2の赤ん坊のシーンでは非常に複雑なビジョンの交錯が見える。赤ん坊を見ているブラッケージの主観的なビジョンがバーッと出てくるのと同時に赤ん坊自身が外を見ている立場にとってかわったビジョンが出てくる。見ている人と見られている人のビジョンがバーッと交錯しているところがあった。
PART3はセックスのパート。女性性器の大写しにおっぱいの大写しが出てくる。乳房から白いおっぱいがピューッと吹き出てくるところがある。それが女性性器の画面と2重うつしになっている。セックスの暗示になる。白いおっぱいが精子の感覚を連想させる。つまり単体生殖で女性性器の中に女性のおっぱいが飛び込んでいくような画面が表れる。見れば見る程味があってスルメイカのような映像で、確かに歴史に残る傑作である。
ただ、アメリカ人の美意識は日本人と違って相当しつこくて荒っぽい。日本人の方がもっと洗練してすっきりしている。ミクロとマクロの対照というかモンタージュがある。例えば血液の流れが見え、太陽のコロナが見える。つまり顕微鏡写真と望遠鏡写真のモンタージュという所がある。それは小池照男の傑作『生態系』シリーズにも見られる。『DOG STAR MAN』の影響を受けているとのことなので、ブラッケージ体験をぜひ小池さんに語っていただきたい。

小池:1972年に大阪ではじめて『DOG STAR MAN』を観た。以降、4年おきに何回か観ている。最初に観た時は映画について何の知識も無かった状態だった。当時は音楽が好きだったので、観ながらウェーベルンを思った。とり憑かれたように観た。今日も実は一番前で観ていたのはちょうどあの時も画面にのめりこまれるようにして一番前で観ていたからだ。『DOG STAR MAN』に関しては、溺れるような見方をしてきたものだから、那田さんが話してくれることに、「そうやなあ」と納得している状態。1978年に、自分はイランに居た。いっしょに仕事をしている人の家に何度もお邪魔をしていた。絨毯を作っているようすも見た。その家のお母さんが一番難しい結び方をやる。子供達はやさしい結び方。絨毯を一枚織り終わるのに10年くらいかかる。その後12、3年後に絨緞の織り目に近い状態で作品をつくり出すことになる。『DOG STAR MAN』とイランの絨緞が細かな作業の連続性をもってきたように今思っている。

水由:『生態系』シリーズのすごさはどのへんにあるのか。

那田:西嶋憲生がジャクソン・ポロックとの類似性を指摘して“視覚の快楽”という言い方をしたのだけど、少し反抗してやろうと思っている。“視覚の快楽”で快いのだけどプラスアルファがある。『生態系』がすごく感動するのは顕微鏡撮影、望遠鏡撮影というミクロとマクロがコマどりの多重露光によってグァーッと巻き込まれていて、だんだん哲学的な感じがしてくるからだ。あらゆる存在の絶対平等や共生といった観念が、理屈ではなく感覚からガーッと来る。小池さんはそういうことを考えながら撮っているのではないかというテレパシーを感じるのだ。視覚の快楽であると同時に小池さんの強いメッセ−ジ性を感ずる。

小池:作っている本人としては作り切る、やりきる、という気持ちばかりである。理屈はあまり考えていない。『DOG STAR MAN』でも結果としてはミクロとマクロが交錯したり、赤ちゃんの視覚にとってかわったり、見る視覚が入ってくる。おっぱいからミルクが噴出するシーンに太陽のプロミネンスがかなり細かく重ね合わせているということを結果としては感じる。自分の作品の中でも「視る」欲望を満たしていこうという力で作り上げていっている。

水由:観客の立場で言うと小池さんの作品も『DOG STAR MAN』も前に観た時と同じことがない。毎回違う。観ている体調の問題もある。前の日に寝ていない、調子が悪い、睡眠を十分にとっていた、お腹がいっぱいである、空腹である、ということも影響する作品。休憩の時「以前に俳優座で観たときと違うのでは」と言っていた観客がいた。「あれ、こんなシーンあったかな?」と。まったくフィルムは同じなのだが、『DOG STAR MAN』を観ていると常に感じることだ。それと似たようなことを小池さんのフィルムを観ていても感じる。観たもの以外の部分の想像力を掻き立てられる。映ったものから観た人それぞれが残像や網膜に印象を与えられる作品である。実験映画を観ていて観たもの以上に何も感じない作品は全然おもしろくない。『DOG STAR MAN』のようなものではなく毛色の違うものであっても、観たことで色んなことが頭の中を交錯してくるものがおもしろい作品だと思う。『DOG STAR MAN』はほとんどそれがつまっている作品と感じる。

那田:ブラッケージは幻聴と幻覚を見る特異体質者であったことは事実である。編集時に人の声が聞こえたり、ある緊張状態になると内的ビジョンが見える。2重うつしのように外が見えて、心の内側で別の映像がうつるというような放っておけば病気のような特殊感覚者であったことも、ああいった作品を生み出した原動力になっている。制作するときに、妻であったジェーンの存在がものすごく大きい。パーソナルな作品を撮っているのにジェーンがインスピレーションの媒体のようになっていて、ジェーンが横にいることで別のものになり、自我を超えたレベルで作っているらしい。
自分は愛のあるセックスはあまり好きじゃないので、やったことは無いのだが、愛している人と抱き合ってセックスして最高に感じている時に個を超えた二つの人間が一体となって、別の次元に至るような感じがあるらしい。彼の場合、その感覚で撮っているらしい。『メタファー・オン・ビジョン』というエッセイの一部にもそうある。個我を超えたレベルで撮っている。離婚したと聞いてびっくりした。

水由:ジェーンは出産した時もスタンからカメラを渡されて撮っている。初期の作品はみな「by BRAKHAGE」となっている。「STAN BRAKHAGE」ではない。ということはジェーンのことも含まれているのではないかと思う。その後70年代半ばからは「S.B.」「STAN BRAKHAGE」と出る。ジェーンは公私ともに本当のパートナーだったと思う。ブラッケージにとって必要不可欠な人だったのでは。ジェーンを撮った作品はたくさんあるが、どの作品でもとても美しい。スタンもジェーンを美しく撮っている。1986年に『Jane』という作品がある。離婚するちょっと前に撮ったもの。ジェーンがソファーに座って新聞を読んだり、お茶を飲んでいる。それを家の中の一番はじから望遠でジェーンの顔を撮っているだけ。ジェーンは絶対カメラレンズを見ない。「何やっているのこの人」といった感じ。13分の作品。ブラッケージは映画制作に入るとふつうではなくなるくらい没頭する。常に死を考えているところもある。(『夜への前ぶれ』など)精神的にずいぶん病んでいた時代もあった。映画を撮ることで何とか生き延びていた。そういう状態の中でジェーンは時々スタンのやっていることが理解できないこともあったらしい。実験映画シーンでは有名になっても、依然として貧乏な生活をしていたりする。子供も五人いた。初期のころとは変わってきて理解できなくなって離婚したのでは、と思う。

那田:“病んだフランス人形”という話をよく授業でしている。アーティストにはその人を支えるために天が遣わしたような女性が必要で、例えばサルバドール・ダリにはガラがいた。ジョン・レノンにはオノ・ヨーコ。サム・フランシスには出光真子といったように、前衛アーティストには非常に個性の強い女性がついていて、ワンセットで作っていくというパターンが見られる。
ブラッケージにはジェーンだったから、このコンビが消えた時にブラッケージは相当きつかったのではないかと思った。
小池さんは奥さんにナンパされたという情報を聞いたことがあるが、結婚が制作に影響を与えることはありましたか?

小池:あります。その通り。『生態系5』は結婚したのでできた。いい男はいい女に出会ってよりいい男になる。いい女はいい男に出会ってまたよりいい女になる。そういう意味で出会う、別れる、また出会うということはあるだろう。

水由:ブラッケージは今の伴侶のマリリンと出会って再婚し、小さい男の子が二人いる。1980年代後半に結婚したそうだ。新しいパートナーと子供達に囲まれて、またどんどん作っているところだ。

・・・ブラッケージの近況をスライドで紹介・・・

那田:アヴァンギャルドの典型的な部分がダダ・シュルレアリストの中にある。昔のアヴァンギャルティストたちは社会に刃向かって、軍人や牧師をバカにしたりスキャンダラスなことをいっぱいやりながら、片方で新しい芸術を作っていた。なおかつ社会革命を考えているので当時の共産党と接近してセクトを作っていく。現代でもそういうことをやっているアヴァンギャルティストがいるのだろうかと思っていたら、実験映画の中にだけ残っていた。
実験映画、個人映画の作家は日本に100人から200人いると思うが、そこにダダ・シュルレアリストたちのようなアヴァンギャルドな雰囲気と価値観を共有したものが残っていた。戦前は共産主義だったが、戦後は新左翼で学生運動に関わっている人がけっこう多い。学生運動で社会革命をやって挫折し、芸術で人間の感覚の革命をめざしている人たちがいるおかげで、ある緊張感が保たれている。
水由さんが政治革命をめざしていた時から芸術に変わった時の心境、決意とは?「なぜ実験映画を作っているのか」とケン・ジェイコブズに問うたら、「社会を革命するためだ」と言っていて、未だそんなことを言うアメリカ人がいるのかと感動した。

水由:機動隊に8ミリカメラをとられた知人もいる。記録を公安に持っていかれて自分の撮った映像で仲間の顔がわれるということもあったと聞く。セクト内で「カメラを撮っている場合か、もっと運動をやれ」と言われ、そこにいては無理だと思った。戦う現場を撮るだけが表現ではなく、違う形で表現することで状況をかえられればと思った。

小池:正直に言うと「世の中変えたろ」と思って作っている。ぼくらの持っている五感に揺さぶりをかけてやろうという気持ちで作っている。

那田:それを聞いて安心した。そういう気持ちがないと純粋に美学的なものになって、個人映画、実験映画も額縁に入った絵を上野の美術館で見る、というようにブルジョアたちの娯楽でしかなくなるので、作家が世の中を変えてやる、見ているあなたたちの目を通して変えてやるという意識があったことが嬉しい。我々の仲間にはそういう意識を持っている人がまだまだ残っている。若い世代の方で世の中変えてやる、と思う人がいたらぜひ実験映画の世界にとびこんで、新しい息吹を吹き込んで下さい。
実験映画は日本が世界で一番進んでいるのではないか。海外では大学に取り込まれて安全な実験映画になっている。日本では神戸に小池、東京に水由、浜松に袴田、札幌に中島、福岡に福間と、それぞれにラジカルで闘争的でかつアーティストの才能を持った人たちが個人的に民間で支えている。そういう人たちが集まると美学的にもめちゃくちゃ進んでいてラジカルだけど、自然と一種の緊張感、倫理性を感じ、つきあってみるとこの人間関係が実に気持ちいい。戦前のダダ・シュルレアリストたちのセクトに似ている。今の日本で一番新しいビジュアルアートをやりたいと思う人は五感から自分を変えていき、ラジカルでかつ倫理的な人間になってほしい。
(2001.7.14 BOX東中野にて)

■パーソナル・ビジョン 2001(全国巡回・東京国立上映)のお知らせ■
●2001年3月に神戸で開催された「パーソナル・ビジョン2001」からのセレクションプログラム」 

個人がその独立した表現として映像作品を作ってきた歴史は、20世紀の映像史の中で、戦争による断絶を経ながら細々と脈打ち続けてきました。この100年間は新しいメディアとしての映像が、生まれ発展した世紀です。特にここ最近、多量の映像機器が開発され、個人が容易に「映像」によるメッセージを発進できる時代となりました。しかし、多くの個人映像はマスメディアに主導された一方的な価値観の中に、浸り続けてきたのではないでしょうか。今こそ、個人による、個人の強い価値観でしか作り上げられない映像表現によって、発言するべき時が来ていると考えます。
〈パーソナル・ビジョン2001実行委員会〉
(★実行委員長は小池照男、水由と片山も実行委員になっています。)

日時:
8月12日(日)〜14日(火)
8月12日 2:00(Aプロ)4:00(Bプロ)6:30(Cプロ)
(5:30よりPV2001公募部門審査員・那田尚史氏によるトークショーあり)
13日 1:00(Kプロ)3:00(Dプロ)5:00(Eプロ)7:00(Fプロ)
14日 1:00(Iプロ)3:00(Jプロ)5:00(Gプロ)7:00(Hプロ)
  

A〜Cプログラム:パーソナル・ビジョン2001公募入賞作品
A「あそぼうよ」岩崎詩子 ビデオ/4分/2000
 「十色」中村美和子 8ミリ/5分/2000
 「the self」黒川良一 ビデオ/48分/2000
 「ある愛について」沢辺由紀子 ビデオ/20分/1999
B「和の謡」硯弥生 ビデオ/5分/2000
 「-nik」白川敏弘 ビデオ/12.5分/2000
 「黒い翼」田中見和 ビデオ/10分/2000
 「ラディスラフ・ガレタのコンセプトに基づく、エスターの水球1942−1954」
 末岡一郎 ビデオ/9分/2000
 「姫ころがし」寺島真里 ビデオ/35分/1999
C「SOAP」渡辺智喜 ビデオ/22分/2000
 「家族」片岸寿文 ビデオ/15分/2000
 「オートマミー」中田秀人 ビデオ/12分/2000
 「てぶくろのぬくもり」吉兼三丸 ビデオ/10分/2000
 「楽しみは二人であればなお楽し」吉兼三丸 ビデオ/5分/2000
 「Represence -273℃(VOL.1.2.3.4)」相内啓司 ビデオ/21分/1999
D〜Fプログラム:パーソナル・ビジョン2001新作プログラム
D「A+B」「C+D」「E+A」能登勝 16ミリ/12分/1994~2001
 「Filmy Film-010 ガリレオの部屋」宮田靖子 8ミリ/7分/2001
  「MAYA」関根博之 8ミリ/64分/2001
E「黄泉がえる日々」山口卓司 ビデオ/78分/2001
F「異相」川口肇 ビデオ/45分/2001
「食パンへぼ詩人」山崎幹夫 ビデオ/29分/2000
G〜Hプログラム:RETINA2000セレクション
G「作品19」(アメリカーナ)ヤーノシュ・ハンチック 4分/2000/ハンガリー 
 「作品20」(ヴィジュアル)ヤーノシュ・ハンチック 2分30秒/2000/ハンガリー
 「RETINA2000」ヤーノシュ・ドモコシュ他 29分/2000/ハンガリー
 「地図」サーロシ・アニタ 3分/1997/ハンガリー
 「From-to」ヘゲドユーシュ・2・ラースロ 4分/2000/ハンガリー
 「月に憑かれて」マジャール・アッティラ 21分/2000/ハンガリー
 「ヤーノ兄弟」アンドレア・マコー 20分/1999/ハンガリー
 H 
「ハッピー世界の終わり」ライゼンビュヒラー・シャーンドル 8分/1999/ハンガリー
 「スチール写真」マリア・ホルバート 6分/2000/ハンガリー
 「エコトピア」ライゼンビュヒラー・シャーンドル 5分/1995/ハンガリー
 「泥」シェル・ホワイト 4分/1998/アメリカ
 「森の光景」バート・フェフテル 17分/オランダ
 「地方色」ヤーノシュ・ドモコシュ 32分/1998/ハンガリー
 「作品22」ヤーノシュ・ハンチック 2分30秒/2000/ハンガリー
I〜Jプログラム:RETINA 2000 ジャパン
I「The Paper」佐々木祐輔 ビデオ/3分/1999
 「部屋/形態」石田尚志 16ミリ/7分/1999
 「混在島」小沼亮子 ビデオ/7分/1999
 「にっぽんの台所」東芋 ビデオ/6分/2000
 「微温」西山修平 ビデオ/11分/2000
 「Red Slot Machine」栗田安朗 ビデオ/17分/1998
J「冬の旅」稲垣宏行 ビデオ/12分/1999
 「Speaker」由良泰人 ビデオ/12分/2000
 「非同一性不可逆的反復再生」桜井篤史 ビデオ/20分/2000
 「春山妙美信女」小池照男 ビデオ/15分/1999
Kプログラム:デンマーク・ヴィデオ・データバンク
 「自然の電子絵画」ペーネル・メガール 4分/1998/デンマーク
 「枕」カサンドラ・ウェーレンドルフ 1分/1996/デンマーク
 「それが私である」トーベン・セーボルグ 6分20秒/1994/デンマーク
 「起きてチャーリー」ハンネ・ニールセン&ビルギット・ヨンセン 1分/1996/デンマーク
 「ローラに気をつけて」ヤン・クログガール&ヘンリク・ブラーエ 5分45秒/1995
他、6作品・・・・・全てビデオ作品。

料金:(各回入替制)当日1回券¥700/前売1回券¥600/フリーパス券¥3000
場所:木乃久兵衛(キノ・キュッヘ)
  東京都国立市西2−11−32 B1
 (JR国立駅南口下車、富士見通り徒歩13分)
問合:キノ・キュッヘ(佐々木)042−577−5971

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