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●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.5
2001.9.18

○7/28におこなった、瀬々敬久氏トークショーからの抜粋を掲載。
○ブラッケージについて、個人的な思い、受けた影響、作品批評、もろもろを心ゆくまで語っていただくリレーエッセイ『私とブラッケージ』コーナーを新設しました!第1回は岡山在住の映像作家、能登勝さんです。
○ボウルダーでのブラッケージ作品連続上映について。

◆これまで、メールニュース配信が主でしたが、ブラッケージに関する投稿も積極的に受け付けます。どうぞブラッケージに関して自由な意見交換をお願いします。アドレスは、
stan@freeml.com
メールニュースも引き続き1ヶ月に1回のペースで配信いたします。お寄せいただいた実験映画、個人映画の上映会情報などは、ニュース配信の際に流しますので、ミストラルジャパン(j-mist@pa2.so-net.ne.jp)までお願い致します。

☆2001.7.28 瀬々敬久(『HYSTERIC』『RUSH!』監督)トークショウ 
司会:水由章

「劇映画と実験映画の狭間で」

瀬々:僕たちが学生の頃は実験映画や個人映画はひとくくりにされていた。ジョナス・メカスやケネス・アンガー等の有名な実験映画作家がいた中で、ブラッケージは並び称されるスターの監督で、80年代初期くらいに観た。僕の出身は大分県の国東半島で、全く映画館が無いようなところだった。高校時代にNHKの「若い広場」という番組があって、原将人さんの『おかしさに彩られた悲しみのバラード』や、今は有名な商業映画監督の大林宣彦さんの『伝説の午後・いつか見たドラキュラ』という自主制作の映画を観た。今まで観た事のない、訳の分からない映画に驚き興味を持ち、志した。大学では実験映画を好んで見て、そして自分で個人映画や実験映画を作り、東京のイメージフォーラムで一回上映したが、かわなかのぶひろさんから「同情に値しない」という手厳しい評を頂いて実験映画ではイケていないと思い、諦めてすぐに撤退した。その後“ぴあ”で一等には映画を撮らせてくれるスカラシップという制度が出来たので、非常においしいと思い応募した。審査員の一人が誉めてくれて文芸坐で上映されたが、まんまと落ちてしまった。もう実験映画には縁がないと思い、東京に来てピンク映画の仕事を始めた。その頃日本映画では普通の大学生だった大森一樹さんが『オレンジロード急行』を撮ったり、長谷川和彦さんが『青春の殺人者』を撮るなど日本映画で凄い事が起こっていた。特に『青春の殺人者』の中で主人公が高校時代に撮った8mm映像シーンは、ある種の実験映画でとても素晴らしかった。後で助監督の相米慎二さんが作ったシーンだと聞いて、長谷川さんより相米さんの方が才能があったのかと思った。

水由:今日のプログラムの『夜への前ぶれ』は瀬々さんも好きだという事ですが、魅力や思い入れを聞かせて下さい。

瀬々:僕が20才の頃に観た時はみんなが良いと言ってたが、目がチカチカするだけで魅力がわからなかった。言語化はできないが『DOG STAR MAN』にはどこか惹かれる部分があった。『夜への前ぶれ』には、<生>を謳いあげ人生は素晴らしいんだ、という感じが非常に出ている。メリーゴーランドを撮ったり、月を追いかけたり、何気ないカットの連続だがそこにブラッケージのこだわりがある。小津安二郎の映画は年をとってから良さがわかるように、この年になって彼の人生観がぐっと伝わってきた。

水由:『夜への前ぶれ』には首を吊る自分の影を撮るシーンがあり、ある種、遺書的な作品である。死のうと思ったからこそ生へのこだわりを感じるのだろう。常に自殺願望はあったが死ねず、その後『窓のしずくと動く赤ん坊』で自分の子供が生まれた。どーんと生々しい生があった。今回の「BRAKHAGE EYES」はAプロが生でBプロが死という訳でもないが、生と死は表裏一体であると感じます。

瀬々:『夜への前ぶれ』の前半で目まぐるしくカットが変わるシーンでは、ギリギリのところで生を見つめようとしていたと思う。生々しさが伝わってくる。彼は必然的に死を予定していたかもしれないが、それ以前に闘っている感が如実に伝わってくるのが素晴らしい。

水由:『夜への前ぶれ』は見方によっては見るのがつらい映画でもある。アメリカで最初に公開したときも、「あんなのは映画じゃない。」「何が言いたいのかわからない。」と言われ、実験映画のシネマテークでも上映拒否されたいわくつきの作品だ。通常の映画のルールを全て崩している部分があり、自分の気持ちがストレートに映像に出ている。ユラユラした手持ちカメラで撮っているシーンが多くあるが、そこに作家の息づかいや生、死への衝動を感じる。私はブラッケージが生と死の狭間で揺れながら、メリーゴーランドに乗っている子どもをコマ落としで撮っているシーンをどんな気持ちで撮っていたのだろうと考えた。見る人が自分から作品の中に気持ちを持っていかないと、なかなかきつい作品でもある。

瀬々:ブラッケージは撮ろうとしているのではなく、撮らされている感じがある。撮り方が知恵でなく、肉体からの部分で撮っている舞踏表現のようなところが何処かにあると思う。誰にでも撮れるけど誰にも撮れない作品だ。『窓のしずくと動く赤ん坊』は幸福な映画だなあと思った。でも、当時はスキャンダルだったのだろう。構成的でデザイン的な絵の切り方やカットつなぎをしている。昨日、たまたま『真夜中のカウボーイ』というハリウッド映画を見たのだが、夢のシーンなど結構アングラで斬新なイメージショットが沢山あった。ハリウッドはブラッケージ的な実験映画も勝手にすくい取っている。

水由:ブラッケージは『窓のしずくと動く赤ん坊』上映後に観客から殴られたり、ショットガンで撃たれたこともあったらしい。『夜への前ぶれ』も『窓のしずくと動く赤ん坊』も賛否両論だったようだ。『真夜中のカウボーイ』も69年の映画で、当時のアメリカはアンダーグラウンドムーブメントだった。スタンリー・キューブリックの『2001年 宇宙の旅』の宇宙のイメージは『DOG STAR MAN』の影響を受けているのではないかと言っている人もいる。いろいろとイメージを拝借しているのかもしれない。

瀬々:それがアメリカ映画の卑怯というか、嫌な所である。この間『スリー・キングス』をビデオで見たが、今のMTV文化の真似事をしていて、いわゆる「実験」という事もすでにメジャーに取り込まれている。しかし、実験映画のスタイルは取り込めても、パーソナルな部分は個人のものだから取込みようがない。特別なものとして存在する。ブラッケージの場合は、「コロラドに住んでいる」「犬を飼っていた」「奥さんがいる」という彼の人生が作品に反映されている。そういった暮らしの中で実験的なスタイルをとっている。彼の生活自体が作品を作るモチベーションの中で一番大きい。仕事を英語で言うと<work>と<job>があるが、<work>には「人生活動」、<job>には「使役」「課せられた労働」という意味がある。ブラッケージの仕事はまさに<work>だと思う。映画制作は「人生活動」だ、という気持ちが非常に強い。

水由:彼の作品を観ていると人生の中で波があるのがわかる。山にこもって自給自足で生活している時期があったり、山から下り子供が大きくなって奥さんと別れたり、その時々のことが作品に如実に出ている。しかし彼の創作活動は全く止まることがない。まさに生きる事が作品作りである典型的な人だと思う。ジョナス・メカスもずっと作っているが日記的なスタンスで撮っているものが多いので、ブラッケージとは異なるものだ。

瀬々:メカスは他者への興味がとても大きいが、ブラッケージの作品を観ると家族の中で収まっていて、あまり他者への興味が無いのではと思う時がある。

水由:メカスが日記・ノート・スケッチシリーズを行った理由は、N.Yのアンソロジーフィルムアーカイブを立ち上げ、制作時間がなかなか持てないためのようだ。だから当時のメカスの作品にはオノ・ヨーコ、ジョン・レノン、ウォーホルなどの有名人が数多く出てくる。ブラッケージはパーティなどに行ってもカメラは持っていかない。メカスは必ずバックにボレックスを入れている。ブラッケージは96年以降、実写の作品は作っていないが、35@フィルムに直接ペイントとスクラッチを施すハンドペインテッド作品を作っている。彼は死ぬ直前まで<working>しているだろう。ブラッケージの<works>は映画というより絵かきに近い感覚だ。

瀬々:私は劇映画を撮っているが基本的に新しいもの好きなので、企画の中で実験的な事をしたいといつも思っている。しかし大きな予算だとなかなか難しく、小さい映画の方がやりやすい。1ヶ月前からピンク映画を1本撮っているが、全部DVで撮り、キネコする金が無くてプラズマビジョンという大型の液晶モニターに投影して35mmのフィルムで再撮した。昨日、ラッシュを見たがフリッカーが出て使いものにならなくてどうしようかと思っている。これからキネコに出すと300万位かかってしまう。自分が借金して出さないとにっちもさっちもいかないという状況でこの場にいる。実験は甘くないですね。
今後の予定としては、全フィリピンロケで『不思議惑星キン・ザ・ザ』みたいなちゃちい宇宙船が空を飛ぶ安いSF映画がある。その次の企画は老いて死にそうになった盲導犬が人間になり、昔飼ってくれた女の子に会いに行って惚れる、というラブファンタジー。これは『DOG STAR MAN』に捧げて、仮題が『DOG STAR』。犬と少女がシリウス星を眺めるシーンがあるんです。

水由:『DOG STAR』ですか!!それは楽しみですね。
(2001.7.14 BOX東中野にて)

★新企画!リレーエッセイ「私とブラッケージ」

『私とブラッケージ 特別な日』

友部正人の『何でもない日には』という歌の中に、「行きと帰りでは短い時間の間なのに随分と違っている」という意味の歌詞がある。
1977年10月19日の夜、僕は地下鉄を一駅ごとに途中下車して、ベンチで泣いた。「生きていること自体が嬉しい」という理由で。嬉し泣きなんてこと自体初めての経験だったし、ましてそんな理由で泣いている自分は、その日の朝家を出たときの自分からすればまるで、見知らぬ自分だった。それまでにもブラッケージの作品は何度か観ていたし、その年の9月には2日連続で『プレリュード』を観たりもしていた。だから、それ以前には知らなかった、生理的ともいうべき種類の感動というものが存在するということは、それらの映像を観た際の体験からもわかっていたはずだ。でも、まだその時点では、薬物的な作用からくるものと、芸術的なそうした体験との決定的な違いはまだ見出せないでいた。
その日、僕は芝公園のアメリカンセンターで、『DOG STAR MAN』を観た。PART3は検閲で公開されなかったから、完全な形ではなかったものの、そのときに受けた体験は、既に知っていた生理的な感動の、さらに先にあるものだった。それは、<感応>とでもよぶべきか、ブラッケージの映画を通して、彼の紡ぎ出す生の賛歌と、僕の中のそれが溶け合ったような感覚であった。
映画が終わり明るい場内を見ると、会場には多くの友人知人、それにほしのあきら先生もいらっしゃっていた。いつもなら観たばかりの映画について、仲間といくらでも議論するのだけど、その時ばかりは何も言葉にしたくなかった。僕の受けたものは言葉にできないし、言葉にした分だけ、指の間から砂がこぼれ落ちるみたいに、折角掴んだ大切な何かが逃げてしまうような気がした。皆はその夜渋谷の細雪あたりで飲んだのかな。それから自由が丘? でも僕は映画の沈黙の中にずっといたかった。それで、一人でこそこそと逃げるように会場を後にしたのだ。
昨年の9月14日、僕はようやく岡山で、PART3を含む『DOG STAR MAN』の全てを見た。やはり素晴らしく美しい偉大な映画だと思う。特にPART3はなくてはならないものだと思った。しかし、23年前のように<感応>までには到らなかった。僕が生まれて初めて嬉し泣きをしたその日には、若い自分の感性や周りの状況、気象条件までもが作用して、僕を<感応>まで運んだのだろう。そんなこんなで、その日は僕の「何でもない日」ではなく「特別な日」となったのだ。その特別な日のお陰で、僕はいまだに映画を創り続けている。

・・・能登 勝 ・・・
1957年岡山市生まれ。75年に映画監督を志し上京、多摩芸の映画科に学ぶ。在学中にブラッケージの一撃を受け映画創りをライフワークの仕事と方向転換。88年家庭の事情で13年暮らした東京を後にして帰岡。現在、妻1、猫1、ハムスター1に囲まれ貧しくも楽しい日々を送っている。

☆「Stan Brakhage Retrospective」
地元ボウルダーで2001年9月より開催中!

2002年の9月に永年住み慣れたアメリカ コロラド州ボウルダーからカナダ バンクーバーへの移住を決意したスタン・ブラッケージ。ボウルダーでの活動もあと残すところ1年余りとなった。地元ボウルダーの boulder public library では、9/10(月)から毎週月曜日の午後7時からスタン・ブラッケージ作品の連続上映を行っている。処女作『INTERIM』から年代順にブラッケージ作品を振り返るこの企画は2002年の春まで続き、全三百数十本にわたるブラッケージ作品の三分の二を上映するという大規模な催しである。しかも入場無料! この時期アメリカへ行く用事のある方はボウルダーまで足をのばしてはいかがでしょうか。(水由章)

URL:www.boulder.lib.co.us/films
e-mail:haertlingj@boulder.lib.co.us
TEL:303-441-3197

ニュース配信:ミストラルジャパン
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