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●スタン・ブラッケージ 映画の極北 メールニュース
NO.24
2003.5.13

○「ブラッケージ・アイズ 2003-2004」開催について
○スタン・ブラッケージ関連情報
○スタン・ブラッケージ 追悼文
○ジェーン・ウォデニングのスピーチ 於:ボールダー・メモリアル
○「LOVE SONGS」福岡FMF上映

★ STAN BRAKHAGE FILM EXHIBITION IN JAPAN
  ブラッケージ・アイズ 2003-2004

2003年11月から2004年3月 全国各地で開催! 全15プロ約90作品(日本初公開が3/4)を一挙上映

◇「ブラッケージ・アイズ 2003-2004」開催について

 2000年に『DOG STAR MAN』が日本で初めて完全版が公開され、フィルム・メディアにおける究極の映像表現としてデジタル世代の若者にも大きな反響を巻き起こした、個人映画作家の巨人スタン・ブラッケージ(2003年3月没)。50年にも及ぶ映像作家活動の間に制作された約400本の作品のうち、日本で正式に公開された作品はわずか20本程度しかないのが現状です。

 『DOG STAR MAN』公開以降、初期の代表作「BRAKHAGE EYES」、近年のハンドペイント作品集「LOVE SONGS」が公開され、日本の映像作家、音楽、絵画、等、他分野のアーティストからも多大なる支持を得ました。惜しくも2003年3月に70歳で生涯を閉じましたが、死の間際までベッドで創作活動に励んでいたスタン・ブラッケージの全貌を明らかにし、<映像表現とは何か!、映画とは何か!表現とは何か!個人とは何か!>を改めて問い直す作業を、デジタル映像と消費されるだけの映像が氾濫している、この時代にに必要だと考えます。

 2003年秋から「ブラッケージ・アイズ 2003-2004」を開催するべく実行委員会を立ち上げ、作品上映、展示、ブラッケージ研究者を招聘しての講演、レクチャーも含めた大規模な回顧展の実現に向けて始動中です。

◇開催場所

高知県立美術館/横浜赤レンガ倉庫1号館/愛知芸術文化センター/神戸アートビレッジセンター/せんだいメディアテーク/他

※横浜赤レンガ倉庫1号館では、現代美術家、舞踏家、ミュージシャン、映像作家たちが作品展示やパフォーマンを通して“ブラッケージ論”を展開する「リスポンド・ダンス〜スタン・ブラッケージをめぐって」を同時期に開催します。

◇ボランティアスタッフ募集!

実行委員会では広報・宣伝、カタログ編集、翻訳、展示スタッフ等のボランティアを募集しています。メールにてお問い合わせ下さい。

◇問合せ
ブラッケージ・アイズ 実行委員会
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-27-5カザマビル
TEL:03-3479-7499 FAX:03-3479-7436
stan@mistral-japan.co.jp
http://www.mistral-japan.co.jp/film/kaiko.html

■スタン・ブラッケージ関連情報

★スタン・ブラッケージの追悼上映会がアメリカを中心に各地で開かれています。

今までに開催された場所は、ボウルダー(コロラド州)、バンクーバー(カナダ)、アトランタ、トロント(カナダ)、ミルウォーキー、ニューヨーク、ヴァレンシア(カリフォルニア州)、シカゴロンドン、デンバーなど。今後はロスアンゼルス(5/18)、シカゴ(5/20)、ボストン(5/28)、サンフランシスコ(5/29)で行われます。上映会によっては慈善上映会として、入場料収益をスタンの遺族に送られているようです。

★マリーベス・リードから、スタンの新作『Stan's Window』と『Chinese Series』が5月の末には仕上がる予定だと連絡が入りました。故スタンからの指示でマリーベスがステップ・プリンターで複写作業を行っていました。これらの作品は11月からの「ブラッケージ・アイズ2003-2004」でも公開する予定でいます。いまから楽しみです!

◆スタン・ブラッケージ 追悼文◆

■私は去る4月4日(もちろん4/4はアメリカでは意味がないが、偶然とはいえ、暦の追悼?)にニューヨークのアンソロジー・フィルム・アーカイブスで行われた追悼上映会の初日に帰国を1日のばして、参加した。ジョナス・メカスをはじめ、P・アダムス・シトニー、バーバラ・ハマー、ジョン・ハンハートなど何人かの旧知の友人がいた。

上映はパリから来たピップが今年1月に撮影した病室でのブラッケージ自身が語る今回上映した新作の作品解説のビデオを上映した。(彼は、死を予知していたのだろうか、それについては、一切触れなかった。)ビデオで見るブラッケージは私が最後に会った3年前から見ると、多少やつれているものの、きわめて元気で多弁であった。

新作は猫の顔のクローズアップのみでできた小品を除いて、すべてペインティング・フィルムであるが、それらについて彼がパウンドなどアメリカの作家を引用しながら、大変文学的な話しをしたのが印象的だった。私(だけではなく?)は最近のペインティング・フィルムをえてして、絵画的(ペインティング・ライク)に見るが、彼にとっては一つの文学(あえていえばストーリー)だったという発見は驚きであった。

映画が始まると、眼をこらして見ていたが、私は長引いた時差ぼけで、上映中につい、うとうととした。すると映画の初めには誰もいなかった隣から私の肩をゆすって起こす人がいた。見るとメカスである。私はまた、眼をこらして見た。すると、どうしたことだろう。それまで平面的に見えていた色がどんどん、私の眼の中に、まるで3D映画を見るように飛び込んでくる。私はそうして最後まで映画を見ることができた。

(もっとも、半ば眠りながら映画を時々、眼を見開いて見るのも好きで、特に劇映画は何倍も面白く見ることができる)。帰り際に入り口に立っていたメカスに私は「ありがとう」を言った。彼はほほえんでかえすのみだった。

かって、1966年に、私の映画、Filmmakersで、メカスらとともに、ブラッケージのポートレートを撮って、いろいろと思いで深い作家だ。そういえば、とりあげた6 人の作家(他にジャック・スミス、アンディー・ウオホール、スタン・バーダービーク、と私自身)で、生き残っているのはメカスと私だけになった。(この映画、ピップのRe:Voirから配給されることになった)。ブラッケージとはお互いに交換した8ミリのフィルムを含め、いくつかの作品が私の手元に残った。いずれ私自身のささやかな追悼上映会をやりたい。
飯村隆彦(映像作家)

■日本にはブラッケージに負けず劣らずの実験映画作家たちが居る。

私は、その人々を通じてブラッケージの作品を見ることになった。

そしてその映像が伝える言葉を理解することで、多くの人と不思議な絆で結ばれていったと思う。

ブラッケージの死は少なからずショックだったが、此処には多くの暗号を持った人たちが居る。

そして皆、偏に若いということに、私はとても喜びを感じる。死は瞬時にして生は永遠にして・・・・
HEAVY-KO(詩人)

◆ジェーン・ウォデニング(スタンの前のパートナー)のスピーチ
於:ボールダー・メモリアル(訳:塚田純子)

ブラッケージはその生涯に渡り、驚くほど多くの人々の人生にとって力強い存在であり続けました。

私がはじめて彼に会ったのは、セントラルオペラハウスの前で、彼がおもちゃの木の剣でラリージョーダンとやりあっている時でした。数ヵ月後、ニューヨークの本屋で彼は私に本を売ったのです。彼が『夜への前ぶれ』を作っている間に、私たちがあまりにも思い切った結婚をしたので、おそらく多くの人が私が妊娠したのだろうと思ったようです。ウェディングの写真を撮ったスタン・フィリップスやウェディングの食事を担当してくれたアンジェロ・ドゥ・ベネディットさえもです。ええ、すぐに私はそうなりましたけど。

最初の子のミレナは、ニュージャージー州プリンストン郊外にある私たちのアパートの2階で生まれました。当然のようにカメラは廻っていました。私は、その映画(『窓のしずくと動く赤ん坊』)の中では、1ショットだけ撮りました。その頃までに私は、ウィラード・マース、マリー・メンケン、マヤ・デレン、レン・ライ、ジム・デービスなど、ニューヨークの人たち知り合っていました。

コロラドに戻ってから私たちはボールダーキャニオンに住み、数ヶ月の間、アリフレックスのカメラを自由に使うことができました。プリンストンで彼はテレビCMを作っていました。ボールダーでは、観光客用のニュースフィルム『Colorado Legend』を作っていました。私たちは、『Colorado Legend』製作の合い間に、一緒にこっそりと、『Dog Star Man』の撮影もしました。私は、2番目の子、クリスタルを出産し、彼女もまた撮影されました。

ロナルド・キューラーは、かつて、「スタン、君は驚きでいっぱいだ!」とよく言ったものです。毎回、新たに驚かされる度にです。山での暮らしは輝かしい2年間でした。『Dog Star Man』のために、顕微鏡用のコウモリの羽などの素材の収集をしたりしてね。ネオウィンが生まれました。撮影されました。エスタ・クレベンジャーが馬に乗って訪ねてきたり、ジョージ・ガモフがスタンと飲んで楽しんだりしていました。

私たちは、定期的なシアターイベントを行うように務めました。私たちは、ガートルード・スタインの朗読会を彼女の友人でもあった学者ドナルド・サザーランドの協力を得て行ったりしました。私たちは、エリック・サティやチャールズ・アイブスの音楽をロバート・リー・チップスが精緻に演奏するのを聞いたり、素敵なブーツを履いたマイケル・マクルーアに朗読させたりしました。

私たちは詩人たちに囲まれてに数ヶ月サンフランシスコで過ごし、ジェイムズ・ブロートンの結婚披露宴に参加したり、波止場にバナナを不可解に上げていたブルース・ベイリーに出会ったり、ある朝、夜明けに、私たちのリビングルームの張り出し窓で、忘れがたいバグパイプ演奏してくれたクリス・マクレーンにも出会いました。

デンバーに戻って、バーサムが生まれました。しかし、それからサウスダコタのブラックヒルズへ向かい、間もなくそこから、変化を遂げていたニューヨークへと再び向かいました。NYでは、映画を見てもらう環境がよりよくなっているように思われました。

それは勇気づけられることでしたが、私たちの居場所はありませんでした。

彼は二度とコロラドには帰らないと誓っていたのですが、私たちは再びコロラド戻り、私の両親の援助を受け、Lump Gulch ハウス(山小屋)を買ったのです。私は5人目の子供のラルクを生みました。

そしてそれから、フィルムの中で成長した子供たちと共に、また、エキセントリックな訪問者たち―シャリッツ兄弟、私たちの山の桃色の夕日を撮影に来ていたグレゴリー・マーコポウロス 、アレン・ギンズバーグと彼の素敵な側近たち、それに、ドーンやクリーリーなどの素晴らしい同士に囲まれて、4半世紀に及ぶ社交的で創造的な目まぐるしい日々が始まったのです。私たちは、早い時期にドン・ヤナーチトやフォレット・ウィリアムズ、ボブ・マクファーランド、クランシー・シーヒー、フィル・ハザウェイ、ベッツィー・ハッシリック、ナンシー・ステッツォンなどの私たちの人生に関わる人々に出会い、基礎を築いていったのです。

本ができてしまうほどでしょうね。

子供の頃、スタンは神やプロテスタント教会に情熱的に関わっていました。私はそういった場所こそが、彼が劇や演説を学んだ所だと思うのです。私は、劇や演説の中に、また彼の映画の中にこそ、彼は、彼の本当の世界を見出したと感じるのです。

彼は十代の早い時期に神や教会から離れ、成人してからは無神論者として過ごしました。

最後には、彼は教会に戻ることを望み、私が葬儀の時にお会いしたビクトリアの監督教会派の牧師と長い会話を交わし、正当な儀式で聖体拝領を行い、彼は神の恩寵を授かると確信したのです。彼のビクトリアでの葬儀は、監督教会派で執り行われました。

私は、驚きませんでした。

★ 「LOVE SONGS」福岡FMF上映 ★

フィルム・メーカーズ・フィールドでは下記の日程で、「LOVE SONGS」の福岡上映をおこないます。思えば、REEL OUT映写室オープン及びFM Fシネマテーク25周年記念プログラムとし『DOG STAR MAN』 「BRAKHAGE EYES」を上映したのが、昨年4月のことでした。1周年には「LOVE SONGS」をとは考えていましたが、追悼上映になろうとは。とても残念です。

しかし今年もまた、われらが小さな暗箱のような映写室のスクリーンの上で、ブラッケージの美しい光の音楽を観ることができます。きっとその時、空のかなた、シリウス星の辺りで光が瞬いてくれるでしょう。

FMFシネマテークNO.110 「LOVE SONGS」

日時:2003年5月18日(日)/24日(土)
両日とも13:00,15:00,17:00上映開始
会場:REEL OUT映写室
料金:1200円

連絡先:092-851-4474(FMF)
E-mail:fukuma@VOW-office.com
REEL OUT http://ayot.tripod.co.jp/reelout

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